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太陽黒点

いつまでオタクでいられるかのチキンレース

劇場版ラブライブ!の感想

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もくじ

  • 映画の流れ
  • メンバーたちの決断
  • 前に進もう!…前って?
  • 劇場版は穂乃果のストーリー??メンバーたちの目立った行動は…
  • アキバで大勢のスクールアイドルとライブ
  • μ'sのラストライブについて
  • 例のブログ記事に対する見解



 


映画の流れ

第1部 -μ's、初の海外ライブ-

 アニメ2期最終回で花陽が受け取ったメールは、次のラブライブをドームでやる計画を立てていて、それを実現させるためにμ'sに協力して欲しいという内容のものだった。同時に、理事長からエアメールを渡された。その内容はスクールアイドルを取り上げたいとのアメリカのメディア(?)の要望であった。

 ドームライブのことはひとまず置いといて、メンバーたちはアメリカに向かった。渡米先で言葉が通じないことにビビるメンバーたち(特に海未)は絵里の書いたメモを頼りに宿泊予定のホテルに向かう。宿泊するホテルはニューヨーク(?)の一番大きい駅の、一番大きい豪華なホテル。しかし海未、ことり、凛の三人が乗ったタクシーはそんな豪華絢爛とは全く無縁なスラム街に到着する。どうやら三人に私はメモは穂乃果が書き写しミスをしたものだったらしい。なんとか3人は宿泊予定のホテルに到着するが、海未だけは警戒心を強めてしまう。

 ライブを行う場所を探すという名目でアメリカ観光を楽しむメンバー達。観光していく中で、この場所が自分たちの住む町、秋葉原と同じ雰囲気がすると感じていく。そんな最中に、穂乃果が地下鉄ではぐれてしまう。見知らぬ街、言葉も通じない街に不安で落ち込む穂乃果。その時、穂乃果は路上で歌を歌っていた日本人女性シンガーに出会い、ホテルまで案内してもらうことになった。その女性は、昔日本で友人たちとグループを組んで音楽をやっていてが、ある出来事がありグループを終わらせることになって、それで一人でアメリカに来て音楽をやっているそうだ。穂乃果はその女性の境遇がどこか他人事じゃない気がしてならなかった。女性シンガーに案内してもらい、なんとかホテルに戻ってこれた穂乃果。メンバーにその女性のことを紹介しようとしたが、その女性シンガーの姿は、まるではじめからその場にいなかったかのように忽然と消えていた。
 翌日、アメリカでのライブを終えたメンバーは帰国した。

 

第2部 -“スクールアイドル”としてのμ'sのあり方-

 アメリカでのライブを終えたメンバーは帰国した空港で今までにない歓迎を受ける。どうやらアメリカでのライブが日本各地で放映され、話題になっていたようだ。まるで有名芸能人のように行く先々でファンの人たちに声をかけられるμ's。その中で、自分たちのライブを求める声が強くなっていることを知る。さらに、次回のラブライブ(祭典)のドームでの開催を実現させるため、スクールアイドル界の盛り上がりを示すため、μ'sの協力がほしいとの要望も出てくる。3年生が卒業したらスクールアイドルμ'sとしての活動を終えることを考えていたメンバー達だが、この反応を受けて本当に終えてしまっていいのかどうか再び考えることに。
 スクールアイドル界の盛隆に貢献できるのであればまだ続けてもいいのではないか。あの時辞めると皆で考え決断したことを簡単に曲げるわけにはいかない。メンバーの意見は割れる。考え抜いた結果、メンバーの意見は最終的に一致し、あの時の決断を貫くことにした。

 スクールアイドル界の盛り上がりを示すために穂乃果は他のスクールアイドルと一緒にライブを行いたいという希望を出す。さらにA-RISEの綺羅ツバサから、やるなら皆で一つの曲を歌いたい、その曲を大会優勝者であるμ'sに作ってほしいとの提案があった。ライブまでのわずかな時間、メンバーは全国をまわり各地のスクールアイドルグループを集め、秋葉原でライブを行う計画を行った。準備は順調に進んでいき、ついにライブ前日となった日の夕方、穂乃果はμ's解散の話をする。憂いを振り切ったメンバーは、全国のスクールアイドル合同のライブを成功させる。
 その後、μ'sの活躍は音ノ木坂学院のスクールアイドルとなった雪穂と亜里沙によって語り継がれていっている。

 

3回見て覚えている限りはこんな感じだったと思う。

 内容について

メンバーたちの決断

 アメリカで穂乃果が迷子になった時、助けてくれた女性シンガー(CV高山みなみ)がいた。あのキャラの発言や外見から未来の穂乃果なのではないかとの憶測がネット上でたっていて、自分もそうなんじゃないかと思ったのですがここではいったん置いといて。


「簡単だったよ。自分たちがどうして歌ってるのか、どうありたいのか。そのことを考えたら、答えは簡単だったよ」 

 

 あの女性シンガーの発言(確かこんな感じ)、穂乃果ははじめ意味が分かっていなかったのだが、µ’sのあり方が問われ始めてから徐々にわかってきたようだ。µ’s続投の要望が生まれてから穂乃果たちはまわりの意見を気にしていたが、「終わりにしたけどスクールアイドル界に貢献できるなら。ラブライブが盛り上がるなら」と、今まで自分たちの行動原理である「自分たちのやりたいことに素直に向き合う」というのに反するような言動が出てくる。しかしこれまでの話から見れば穂乃果たちがµ’sを続けようと考えることはないのは当然だろう。ここで「µ’sを」終わらせるというのがポイント。アニメ本編と映画の内容を合わせて考えると

 
・高校を卒業するとスクールアイドルとしての活動はできない

・µ’sはこの9人でこそのµ’s

・スクールアイドルとしてのµ’sが好き

 

となるので、やはりµ’sを今後とも続けるのは理に反するわけだ。

 
 

前に進もう!…前って?

 女性シンガーとは日本でも再会した。その時穂乃果は、また大きな水たまりを超えるわけだが、「飛べるよ!」「前に進むために…」等に見受けられる前に進むことの後押しが多かった女性シンガーの発言。

 ラブライブ!のテーマに沿って予想するなら、「前に進もう!」とは「新しい夢に向かって突き進もう」みたいなニュアンスがあると思う。アニメ内で具体的な夢が語られた人もいれば(ことりのデザイナーだったりにこのアイドルだったり)、特に描写無い人もいたけど、夢に向かうことを大切さを表現するアニメとしては、そこは重要ではないように感じた。

  よく考えなおすと前に進むことの後押しをされたのは穂乃果だけだ。穂乃果だったら「あの時、~~って言われたんだけどどういうことかなぁ」ってメンバーに話すと思うんだけどそういう描写ないし(つぶやきはしたけど)、A-RISEとドライブしたときの話もしている様子がなかった。描写無し=やってないって判断するのは間違いなのかもしれないけど。でもこの発言や女性シンガーの存在がなかったら、メンバーたちが解散を躊躇する→考えた結果やっぱり解散するってストーリーだと薄い話になってしまう。女性シンガーの話を挟むことで、µ’sのあり方を再度問う→世間からの続投希望→前進を促すといった流れができるので、ストーリーに厚みが増すのではないかと思う。分厚くはならんと思うけど。
 あの女性シンガーの存在は未来の穂乃果、同じ境遇を持った先輩のような人、穂乃果の自問自答の具現化とも考えられるけど、想像の余地がかなり残っているので、議論しがいがありそう。 

 
 

劇場版は穂乃果のストーリー??メンバーたちの目立った行動は…

 

 映画観ていて感じた人はいるかもしれない
 

あれもこれも穂乃果ばっかりじゃん!!
 

 確かに穂乃果は一応ラブライブというコンテンツの主人公的立ち位置にいますが、映画では穂乃果以外の描写が比較的少ないのでは??みたいな話も聞く。

そこで、µ’s全員の個性が見られたシーンをあげていきたい。

 

穂乃果

 スクールアイドル全員ライブを実現させるまでの無理難題な意見。あれを実現できるのは穂乃果のカリスマ性あってこそかもしれない。とにかくやってみようとするのはアニメ本編からずっと続く穂乃果らしさだ。それだけあって、アメリカで迷子になった時にどうしたらいいかわからなくなっていたところは久々にみる表情だった。

 

絵里

 「おばあさま…(寝言)」、「Angelic Angel」の時の表情、非常に対照的な絵里の姿。「あの橋、本で見たことある!」、「UTXまで競争!ビリの人はジュース驕りね~!」、そして渡米先でもしっかり他のメンバーをまとめていけている姿はただのお姉さんキャラじゃないって部分を見せつけてくれる。普段もまとめ役に演じることが多かっただけに、絵里本人の個性がみられるのは嬉しい。発言ばっかだ。

 後は、µ’sが世間から続投を望まれているときも~~のためになるならと真っ先に言ったのは絵里だが、最終的に自分の考えを貫けるようになって、もうあの頃の使命感と自己犠牲の精神に縛られていた絵里の姿は無かった。ガラッと変わったわけではないが、アニメ初期から見ると大きな成長を遂げたと思う。
 上映前の注意事項映像(携帯切れだの喋るなだの言ってるいつものアレ)、BiBiは漫才だったんですよ。にこっちはいつも通りだったんだけど、にこっちのノリを絵里もやってたんですよ...最近の絵里はどんな路線なんだ... 

 

ことり

 アメリカンサイズのチーズケーキを喰らい、しっかりファッションをチェックしていって、結構アメリカを楽しんでいる感じがした。結構マイペースだよね、ことりって。 

 

海未

 アメリカでのビビり具合がかなり印象的だった。タクシーに乗ったときは本当にホテルまで行くのか心配し、公園でランニングするときは忍者のように周囲を警戒して…最終的には慣れたようだが、アニメ初期は人前に出るのが苦手でしたし、割と新しいことに挑戦することに臆病なんだな。

メンバーの中で一番の常識人で、臆病でもありどこか共感できる感じも好きです(僕だけ?)穂乃果に次いでわりと動かしやすいキャラだとは思うけど、推しとしては最後まで個人の掘り下げがなかったのが残念。やっぱり穂乃果ありきになってしまうのか...

Angelic Angel」の髪型が奇抜個性的。絵里とかぶるからなのかどうなのか

 

 凜は新しい環境でも臆することなく飛び出すタイプって印象をうけた。穂乃果とは少し違った積極性な気もする。「この街ってアキバに似てるんだよ!」の発言が穂乃果からじゃなくて凛から出るとは意外だった。猫っぽい寝間着はかわいかった。あとは動きのいちいちが可愛かった印象。真姫の曲をイヤホンで聴いてるとことか。凛ちゃんメインな「Hello, 星を数えて」は劇中歌で一番好き。

 

真姫

 車のなかでのkissの相手はパパだった!育った環境が違うことを見せつけていく。飛行機エコノミーの往復はつらいとか、アメリカでも未開の地に来たって感じじゃないとことか。µ’s続投の話が上がった時には真っ先に意見を言うところは頑固な性格が見られた。ツバサと作曲していたシーンはおおっってなったけど、でももっと可愛いまっきーが見たかったよ…

 

 穂乃果と対照的に描かれ、ストーリーの主軸にかかわる希だけど、今回は真姫が個人的に作っている曲のことで触れる以外はストーリーの主軸にはかかわらず。メンバーのあれしたいなぁこれしたいなぁっていう意見に便乗していく感じ。アメリカでは現地人と自然に会話しているあたり、海外経験もあるみたい。全貌が見えない、不思議な存在です。スピリチュアルやね。寝巻姿がめっちゃ可愛かった。今回もタロットカードは使用してたけど、自分の意見を代弁させるツールとしてではなく、純粋に占いに使っていたところも良かった。

 

花陽

 白米禁断症状発生。しかしパンもいける模様。よく考えたらレストランで食った後にまた飯食ってんだよなぁ。またダイエット回必要かな??ストーリーの主軸に絡むことはなかったけど、消極的なところも花陽らしさということで。白米スムージーってどんな感じなんだろう。白米を凍らせてシャーベット状に…うーん、瑞々しさが足りないけどどうするんだ。海未ちゃんがビビりまくって泣いてた時、カップケーキ食べて元気を出そうとしたシーン、美味しいもの食べればオールオッケーみたいな感じの発想は嫌いじゃないです。飯食うシーンでことりと同じくらい輝いてた気がする。アイドル好き設定は最近発揮されませんね。ネットですぐアイドルの情報を持ってくるとこ(今回はμ'sの反響調べ)で発揮されてるって考えればいいのかな。

 

にこ

 今回もにこまきが見られました(ニッコリ)。あの状況でµ’sを終わらせるのはにこにとっては夢目前で撤退するようなものだけど、よく決断できたなぁ。にこは強いよ、ほんと。にっこにっこにーも今回しっかりねっとり決めてくれました。

  

 こうして振り返ると、多かれ少なかれ個性は垣間見られるみたい。日常回に近いものがあるのかもしれない。確かに穂乃果に焦点が当たった時間は長いですが、ほかのキャラが個性を発揮できてなかったわけではないと思う。映画の1時間ちょっとという時間で各キャラの掘り下げを行うと本編がおろそかになってしまうしね。本編よりサイドストーリー進める癖はダメです。

 (ことりとにこの文量が少ないけど、別に好きじゃないってわけではないです。)

 
 

アキバで大勢のスクールアイドルとライブ

 あの演出、僕は好きです。どうせなら各地のアイドルは以前名称募集したんだし、それなりに設定凝らせて個性出してみてもよかったんじゃないかと。あとアニメ本編でまったく出番がなかったので、µ’s抜きで見ると「あぁ、たくさんの人が一斉に歌って踊ってる」っていう感想しか浮かばない。やっぱりµ’sのバックダンサーじゃないか!っていうのはまぁ演出ってことで。

 ママライブ!なシーンもありましたね、一瞬だけでしたが穂乃果、ことり、真姫、にこの母親に加え海未、凛、花陽の母親が追加で確認されましたね。面影があったしわかりやすかったです。しっかし凛ママ、めっちゃ若そうだったなぁ。高校生の娘がいる親だと若くても30代後半だろうに。穂乃果のとーちゃんは凄くテンション高かった。サイリウムを両手に8本持ち、めっちゃはしゃいでる。熱い男なのかもしれない。そういやなぜかママライブのシーンの画像がツイッターに出回ってたんですよね。どうしてですかね(棒)

 一度でいいからママライブの話も見てみたい、いや普通に主婦の井戸端会議になってもいいから。CVめっちゃ豪華になるだろうから一度限りでもいいです。

 μ'sのラストライブについて

 映画の最後のシーン、3年生になった雪穂が「スクールアイドルの発展に貢献し、ドームでのライブを可能にした第2回ラブライブ!を優勝したμ's。そしてその最後のライブは......」とのセリフにより映画のEDはμ'sのラストライブだと推測できる。

 
 ではこのラストライブ、時期や場所はいったいどのようになっているのか。
 
 まず時期について。このライブは「μ'sの」ラストライブと言われていたので、あの9人がμ'sであり続けられる時期、つまり3月末までであること。そしてラストライブであるということを加味すると、秋葉でのスクールアイドルライブの直後だと考えられる。

 曲に関しては秋葉ライブ計画以前に完成していたし、歌詞、衣装、振りも秋葉ライブ計画の前か並行して進行されていただろう。時間がない中で色々作ってきたμ'sにとっては、このくらいの時間は苦ではなかったと思う。
  ドーム大会のゲスト出演との仮説もあがっているが、おそらくドーム大会は開催されるとしても、第1回ラブライブ!と同様に初夏くらいかそれ以降に開催されるだろうし、そのころには穂乃果たちはμ'sではないため、この仮説だとμ'sのラストライブは秋葉ライブでの「SUNNY DAY SONG」になる。これではEDが雪穂の話の流れに関係のない展開になってしまう。
 次に場所なのだが、規模からしてドームっぽいなとは思ったが、果たしてそんなにすぐドームをとれたのだろうか。秋葉ライブをする前は、まだラブライブ!運営側はドームを取るにはまだ足りないと(理事長が)話していた。そんな中で秋葉でスクールアイドルの盛り上がりを示したところで、はいどうぞと簡単に使用許可が下りるものなのだろうか。いやまぁ許可出たって仮定してしまえば簡単に解決する話なんだけど。正直僕も納得のいく回答を模索中なので...

   

 

例のブログ記事に対する見解

 最近ラブライバーの中でも、自分のツイッターのTLでも話題になってたブログ記事がありまして、それが自分と違った視点で見ていたので、この記事に対する自分の見解を書いていきたいと思います。決して貶しに行くわけじゃないので悪しからず

 

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。

 

タイトルが結構挑発的というか、はっきりと「劇場版ラブライブは失敗作だ」と明言しているので逆に興味がわくわけです。

 

 では、アニメ『ラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドルの未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルのことなんかちっとも考えてこなかったのである。最後の最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

  筆者は「ゆび祭り~アイドル臨時総会~」という現実世界のアイドルの祭と、劇場版でのスクールアイドル大勢でのライブを比較してこのように述べている。まぁ正直作品以外でストーリーを生み出せない2次元コンテンツと、なにをやってもストーリーとできる3次元を比較されてもアレなのだが、あのスクールアイドルの祭典は「自分たちのやりたいことに素直に向き合う」というラブライブのテーマから判断するに、「スクールアイドル界に貢献したい」という思いを捨てないために出した答えなんじゃないかと思う。

 確かに穂乃果たちは他のスクールアイドルのことを考えた時間は少ないだろう。A-RISEのことも前回ラブライブの覇者、強力なライバルとしか見てなかったかもしれない。しかし、µ’sは4月に穂乃果が始め、夏休み前までにメンバーを集め、秋初めにラブライブに再挑戦し、決勝戦間近でµ’sの今後を考えて今まで来たので、自分たちのことで精いっぱいだったのではないでしょうか。そもそも他の視線を意識し始めたのもNYライブ後です。それまでは他のスクールアイドルのこと、スクールアイドル界のことは意識してはいなかった。でも意識するようになってからは、貢献したいという気持ちが生まれた。だったらそうすればいいじゃない!っていうのが今までのµ’sのやり方です。

  

映画のキーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎のなのである。

 

  女性シンガーの存在意義に関する記述。僕が思うに、本筋に直接絡んではいけない気がします。この女性シンガーは確かにµ’sの今後に関する穂乃果の考えに影響を及ぼしていたが、µ’sの今後はあくまで本人たちの意思で決定しないと意味がないと思う。まぁ外部からの影響受けて考えが揺らぐキャラもいたけど、上にも書いたけどあくまであのキャラはストーリーに厚みを加えるくらいのものだと思っていいんじゃない?

  

 翻って劇場版『ラブライブ!』において、我々は花陽の白米キチキャラに何を見ればいいのか。あるいは、一様にニコニコとして歌い踊るμ'sの9人のその笑顔の裏に何を見られるのか。それこそが問題なのだが、今の制作陣にそのような問題意識はまるでないようで、判で押したような浅薄なキャラ付けを毎度繰り返すばかりである。もちろん、判で押したようなキャラ付けが普遍的に悪いと言っているわけではない。そういうキャラクターが適している作品だってある。しかし『ラブライブ!』は、元々はそういうキャラ付けをする作品ではなかった。それなのに作品人気が高まり、ファン層が入れ替わるにつれて、人間を描こうという当初のスタンスがすっかり失われてしまった。雑誌連載時代そして第1期の頃に比べて、μ'sメンバーの魅力がめっきり減ってしまったように感じられるのは本当に残念なことである。『ラブライブ!』を、こんな消費の仕方をするための作品にしないでほしかった。

  他にも1期と2期・劇場版でラブライブが変わったという人が多かった。1期はメンバー集めから始まっただけあってわりと個人の葛藤が多く、2期以降はグループ全体としての葛藤が多かった。キャラクター性を描こうと思ったら前者のほうが適している。2期以降に関してはメンバーそれぞれで悩むことはあっても、最終的には穂乃果の意見が通ってる気がする。以前より皆でいっしょにあれこれすることが増えたせいでそう感じるのかもしれないけど。

 自分はアニメ1期からラブライブを知った身なので雑誌オンリーの時代の空気はわからない。しかし、雑誌連載での原案者・公野櫻子先生のショートストーリーではしっかりキャラクター性が描かれていると思うし。結局アニメ2期は、1期と比べてほかに描くことが増えて個人個人が少し埋もれてしまったのではって考える。確かに2期でも個人回はあったけど、例えば1期で海未が絵里にダンスを教えてもらうまでにいたる行動、にこが穂乃果が辞めるといってからメンバーの一部を集めてライブを計画してた等、個人が主体性をもって行動するシーンが減っていたようには感じた。まぁ1クールアニメだから端折るところ端折らないといけないってのはあるから、この辺は問題視しなくてもいいかな。

 公野櫻子先生の書く話はよくてアニメはアレってなると脚本家の問題?あんまりスタッフには詳しくないんだ…

 同じアイドル作品ということでアイマスを引き合いに出してる方もいたけど、ラブライブは話がアニメ、雑誌、スクフェスでそれぞれ独立しているので、アニメ外に掘り下げ場所を共有しているコンテンツと比べるのは難しいかと。そもそも職業アイドルと部活動を同じ基準で比較すること自体がナンセンスじゃないのか。

 
 

 以上、ラブライブ! The School Idol Movie に対する感想です。まだまだ細かいところは見られてないので、早くBDが欲しいです。特にライブシーンは情報量多くて...
 劇中挿入歌に関してはCD買ってから話します。ある程度買い揃えたら次はサンシャインですか。サンシャインのほうはゴーバスターズのイエローがいるくらいしか知らんからなぁ、誰が好みかはまだ判断つかん状況です。